笑顔が素敵な会社

  • 2023.11.13 Monday
  • 22:31

先日、設立記念のパーティーに参加してきました。
長年お付き合いのある社長さんの功績をお祝いしてきました。
その中で、とても印象に残ったのは、次期若社長の
「宝くじに当たっような、従業員に恵まれて、ほとんど離職者がいないんです」
と感謝をのべていました。
本当、10年以上前のスタッフが、頭に白髪を交えて頑張っています。
逆を言えば、従業員を大事にしている会社、ということでしょうか。
今も、仲良くしてもらっているのには感謝ですし、その会社のためなら・・・という気持ちもいつも持っています。
そして、みんなの笑顔が印象的でした。

7年ぶり、年を取りました。

  • 2023.11.08 Wednesday
  • 23:31

2016年から更新していない。

何をしていたんだろう?
ケアマネも辞めたし。
年齢的についていけなくなってしまったようだ。
次、何をしようかと思っていたら・・・・
最初の仕事の障害者支援・・・
に戻っった。
自分の人生の原点に戻ったようです。
人生も、残り少なくなり、あっちこっちにガタが来てしまい、自分のメンテナンスも増えてきています。
しかい、元気に生きられていることが、助かるし幸せかと思いますね。
ここからは、続けられるかどうかは不明ですが、生きるための自分なりのこつを書いていけたらと思っています。

着物でケアマネ

  • 2016.08.06 Saturday
  • 20:49

 

今日、夏祭りをしていた事業所に、顔を出してきました。

 

「着物を着て」

 

 

暫くぶりの着物です。浴衣を探したが、出てこない。

見つけたのが、この絽の着物。

30年くらい前のものかも??

覚えていないくらい、着物と縁遠くなっていました。

 

私が、居宅を開こうと思った理由に、一番目の隠れ目標(夢)がありました。

 

「着物でケアマネ」

 

着物を着て、ケアマネをしたい。

着物を着たタバコ屋のおばちゃんのように、着物を着ることを仕事にしていない人が、日常着を着物で過ごすことに、憧れを持っていました。

着物を着ていても、違和感のない世界。

日本の衣服ですもの、普通に着こなせたら、と思っていました。

 

もう一つ、着物でケアマネしたい、の理由があります。

私が、訪問看護師をしていた時に、家政婦さんと暮らしていた90歳を超えたご婦人のところに、訪問に行ったときの話です。

 

少し経った頃に、遠方の娘さんが来て、ケアマネと一緒に、今でいう会議を開きました。

その時娘さんが、ケアマネに対して、

「帰りに葬式に行けるような服装で、うちの母のところに来ないでちょうだい。」

「うちの母は、綺麗なものが好きなのよ」

と声を荒げました。

ケアマネは、制服と思われる、濃いグレーのスーツを着ていました。

 

「綺麗なものが好きなのよ」は、訪問していてよくわかりましたが。そのあとの、「帰りに葬式に行けるような服装で、来ないでちょうだい」に衝撃を受けました。

 

介護保険が始まったころ、亡くなる場面に遭遇することも多く、どんな場面でも失礼にならない服として、制服を作られたところがあったと思います。それを見透かされたような発言に、驚きました。

 

人間、生まれた時から、死のカウントダウンが始まります。

ほとんどの人は、それを意識することなく生活をしていると思います。

死を意識する病気になったときや、高齢になったときに意識するようになると思います。

私は、常々90歳を超えても元気な人も、寿命という死期が迫っていることに、不安はないのだろうか、と思っていました。どうやってその不安を乗り越えるのだろうか?と若い時に思っていました。でも、元気な高齢者からは、その不安は、顔からも声からも出ていない。素直に寿命を受け入れているように感じます。

しかし、その子供たちは、どうでしょう?

親が先に亡くなることを受け入れられない人も、数多くいます。親は永遠不滅の存在の人もいます。

そんな子供からしたら、葬式に行けるような洋服は、受け入れがたいことだったかもしれません。

 

このことがあってからは、絶対帰りにお通夜に行ける姿での訪問をしない、と肝に銘じました。

 

「母は綺麗な色が好き」、という娘さんの言葉は納得がいき、実際私は助けられていました。

ご婦人は、ほとんど寝たきりで、声をかけても目も開けず、声も出しません。

私の「こんにちは」に、いつもと違う声に、薄目を開けてみて、私が着ていた洋服に、「綺麗ね〜」と発し、日常的に動かさない手が伸びてきて、触り始めました。

私が、「目を開けて、ちゃんと見て」というと、ご婦人は「私も、昔は持っていたのよね〜」と話し始めました。

「じゃ〜、起きてお話ししましょう」と促し、ベットに座ってもらえれば、7〜8割成功。

そこから

「せっかくだから、足をお湯に入れましょうか」

「せっかくだから、手も洗いましょうか」

「せっかくだから、洋服も着替えましょうか」

「せっかくだから、体も拭きましょうか」

と、昔話をしながら、やってしまいます。

 

「綺麗な色が好き」から始まる会話に、目をランランと輝かしていくご婦人に、綺麗な色の素晴らしさを感じました。

 

たったこれだけのことで、寝たきりで過ごしていた人が、起きてしゃべったのです。

 

 

そんな経験から、自分自身が高齢に近くなった時に、自分が周りを元気にさせるには、どうしたらいいか、必死に考えました。

そうだ、昔とった杵柄に、着物の普及がありましたので、それを活用しようと考えたのですが、「着物で看護師」は難しいので、「着物でケアマネ」だったらできるかな?と思って、居宅立ち上げを計画したのでした。

 

 

当居宅の開設は、平成234月からで準備していましたが、3月の震災で、指定をもらえない危機まで出て、「きものでケアマネ」は、なかったように封印されてしまいました。

当初、3月で休止する居宅から、利用者を引き継ぐ約束もしていたので、さらにその場所は被災地になってしまったことから、本来の目的は完全に封印されました。

 

あれから、5年半、一人居宅で追いまくられてしまい、余裕がなくなり、一度封印した着物は、出てくることもなく今に至っています。

 

ようやく、これからのことを考える余裕がでてきて、私自身が高齢になっていく状況で、自分の役割を考えるようになりました。

 

仕事関係のところに、着物で行くのは、今日が初めてです。

 

着物で会話がはずみ、一時でも明るくなるのであれば、それはうれしいです。

 

これからも、行事の時だけでも、着物姿で訪問できれば、と思います。

 

「着物でケアマネ」という隠れ目標第一は、復活できればうれしいですね。

 

 

検索でヒット

  • 2015.01.16 Friday
  • 18:46
JUGEMテーマ:介護
本日、検索をしていたら、自分の過去のブログがヒットしてしまった。
途中で終わっていたブログだったが、「へ〜、こんな事を書いていたのか?」と感心しています(笑)

今でも、一人居宅をしています。
ちょっと、経営を変えて、事務所も持って、続けています。

そろそろ、ブログも再開しようかと考えていたら、このブログを見つけました。
訪問件数をみたら、今でも時々見ているんだ〜という感じ。
たまに、件数が多かったりで・・・

じゃ〜、このブログ続けようか?

検討中。
 

虐待から逃げてきた

  • 2011.07.10 Sunday
  • 20:20
 朝7時に、近くの交番から「〇〇さんが来ています」と連絡があり。

「会いに行くから」というと、「警察で対応しますから大丈夫です」、と。
本署に連れていった。

まもなく民生委員から、
「警察から、施設をさがしてほしい」と連絡があったので、会長が〇〇苑に、施設探しを依頼したと・・・。

おいおいルートが違うじゃないか、と思いきや、まもなく施設から、電話が入り、
「ケアマネさん知ってますか」
から始まり
「この方のこと、どう考えているんですか」と
叱責に近い言葉をあび、あれよこれよの質問攻め。

このケースは、包括も行政も民生委員もすべてを動員して動いていたケースだったのだが、あいにく本日日曜日につき、どことも連絡はつかず。

こちらはこちらで、行政の指定の緊急ショートを探すが、どこも埋まっていて対応不可。

警察に
「自宅に返すことはあるんですか」と尋ねると、「返さない方向」だとのこと。

施設は、ほとんど介護保険がらみなので、ケアマネが探さないといけないことは説明をするが・・・

〇〇苑からは、「身元保証人が必要なのは分かってますか?」
「分かっていますが、いないんです。」
行政は、明日にならないと動けないので、明日相談しますから、といってもらちが開かない。


私が依頼した施設でないところと、なんでこんなやりとりをしなければならないのか???



自分のつてで、ショート先を見つけ、期限限定で、とりあえずお願いをする。
ちゃんと、担当者は休みなのに出てきてくれたし、対応してくれた。


警察に、「〇〇で今晩泊まれます」と連絡をしたら、即連れていき、私が各方面と話をしている間に、「届けました」と連絡がはいった。

けっこう、遠くのはずだったが、なんと素早い対応。
パトカーで連れて行ったのかしら?と思ってしまう。

疲れて横になりたがっているとは言われていたので、急いだのかもしれないけれど、

朝ごはんも昼ごはんも食べていなく、薬も飲んでいなかったとの現実。
具合悪くんなるのも当たり前と思ってしまう。
警察にいる間、何も食べていない。
事の発端は、夕食を孫のために作らなかったで、孫に叱責されて飛び出してきたので、夕食だって食べていないと思う。

所持金もなし。

ショート先では、昼過ぎに行ったにも関わらず、パンを準備してくれて、内服をさせてくれた。
ありがたいことです。

こちらも、情報をもっていく、4時過ぎに帰ってきた。

疲れて横になっていると、あさの交番から、
「施設に入った」とのことで対応しましたから、と電話があった。

この、最後のおちにはがっかり・・・

すべて警察で対応しましたからとの連絡だったので。

私の電話の送信履歴は、総数50件(はじめの交番から、最後の交番まで)
どこの誰と何を話したか、覚えていません。

請求書がこわい。


今日の1日は、とんでもなく忙しい日でしたね。

さて、今夜は安心して眠れるだろうか?
名刺には、私の住所が書かれている。
虐待の本人は、祖母がいなくなったら、連絡がくる可能性は大きい。
警察は、なにかあったら動きますから、と言うが・・・
何かがあった時には、命がないかもしれないのに・・・

このケースと関わるようになってから、子供のおみやげの木刀を近くに置いてあるのだが(笑


また、最後のおちがあった。

逃げてきたとき、荷物を持って出てきていたことだった。
これを最初に教えて欲しかった。



明日も忙しい予感がする。

同じ土台に乗ってしまった??

  • 2011.07.10 Sunday
  • 02:59
 4月から居宅を開業して、先日初めての報酬をもらいました。

震災直後ではありましたが、恵まれた出だしではありました。

元々が、10年以上のキャリアのある訪問看護師、訪問診療の看護師だったので、どうしても医療目線で動いてしまいます。

この病気で、この症状が出たら、次はどうなる?
とわかってしまうのです。

なので、予防をしようと頑張ってしまう。

この想いが伝わると、改善傾向にむかうので、自分も満足しています。

ところが、逆の場合が病状が悪化して、入院したり、死亡したりしてしまいます。

もらったお客さん。
震災でサービスを入れられなかったので、初回訪問時に床ずれの兆候を見つけました。
予防に動くのですが、家族の拒否にあっています。
時間がないのです。
無理強いで看護婦を入れましたが、拒否傾向が強く、少し強い余震があると、完全に拒否になります。

症状は悪化。
足の先に点のような壊死を発見したときに、病院に搬送、こちらの依頼で入院をさせました。
しかし、間に合わなかったようで、結果足を切断するようになってしまいました。

家族との関係がうまくいっていません。
前のケアマネのイメージがつよく、私を受け入れてもらえません。

先日、ようやく退院になりました。
床ずれもなく、状態は安定していると・・・医師は言うが・・・。
前に拒否をしていたベットは、業者を変えて入れられました。
しかし、訪問看護師は却下です。
医師にはいれてほしいと言われたが・・・
気に入っているデイサービスを回数を多く入れて、状態を把握するしかない。
退院後即入れていたデイサービスは、当日断っていかなかったようだ。

この時点で、最悪の結果を想定
看護師の訪問を進めるが拒否。
退院後、一週間後のデイサービスに行けたが、巨大褥瘡が出来ていた。
処置材料は持参せず。
持たせてくれるように話すが拒否。自分でやるからいいと。
褥瘡にそのまま尿汚染がある。

しかし、再入院を予防したかったのだが、来週には入院も仕方ないない状況になることが予測される。


このケースは、頑張ってしまった。
命が関わる問題だったので、頑張ってしまった。

しかし、疲れた。
説明はした。
もう、本人達の判斷で動いているので、認めるしかない。

入院することも仕方がない。

同じ土台で頑張ってしまったのを反省する。
客観的に判断できなかった。
たぶん、いまだケアマネとして認めてもらっていないためかもしれない。


本人たちからSOSが来るまで、様子をみよう。


引き継いだ事例 エトセトラ

  • 2011.05.27 Friday
  • 20:19



「 とてもいいケアマネさんだった」

引き継いだ当初(今もだが)、よくこう言われた。
ま〜、比較されるのは仕方がないが・・・
よく書類も作っていたし、完璧という言葉が当てはまる感じですね。

最近、そのための私に対するクレームが多くなった。
「あの人は、こうしてくれたのに〜」と。
よくあることだが、利用者さんに優しいことは、同業者には優しくないんですよね。

あの人は、「やってあげると」と言ってやってくれた。
○○さんは「自分でやれ」って言うんですよね・・・と。

いろんな手続きを(お金に関することなど)を、やってくれていたようだが、家族は何をやってもらって、何のメリットが有るのかを知らないでいる。
そのために、入所などの時に、お金がかかって入所できないと、せっかくのチャンスを断ってしまっている。
「知らないもの〜」と言われても、引き継いだケアマネにも教えてくれなければ、なんにもわからないのです。

こんなことが、数件あり。
家族の代わりをしてあげると、家族は一時的に助かるかもしれないけれど、家族が何をしてもらったか理解していなければ、長期的には役にたたないんです。

今「あの人はやってくれたのに、あなたは自分でやれって言うのね」というクレームにあっています。

生きるための家族指導は大事なのに・・・

困ったものだ。


「遠くでも大丈夫と思ったが」

車でどこへでもいけるので、どんなに遠くでも大丈夫と思ったが、居宅開設の申請を出してからの震災のため、経済も止まったことや、副業も震災で被災してしまい、資金調達が難しくなりました。
ガソリンは入るようになっても、交通は渋滞で倍はかかり、一人ひとりに合わせて訪問を繰り返していたら、経費が膨大にかかっています(泣

インク代、紙代、さらに暫くは店も空いていないので、それらを探して右往左往・・・
仕事の物品も調達できなくて、膨大な経費に泣いています。

報酬は三ヶ月後・・・
資金は副業でと思っていたのに、全部止まったので(家族の仕事も)、資金ショート気味です。
あと一ヶ月、あまり動かないで生活をしないと・・・

近くの新規を大事にしていきたいですね。

遠くを離していくプランをたてていこうかと思います。
だいぶ離したけれどね。

新規立ち上げには、3ヶ月分の生活費と経費が揃っていると、悠々とできると思いますね。


こちらでサポートしています。
http://nikkourei.jimdo.com/

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思い出を探す

  • 2011.05.14 Saturday
  • 21:57



 私の仕事関係や、近所や親戚に、津波の被害に合われた人たちがいますが、思い出の品々を集めてきて、洗って綺麗にしています。

こころのよりどころかもしれませんが、それを話し始めると、涙がこみ上げてきています。




火事になった親戚は、何も残りませんから、探すことはなく、次のことを考えはじめています。

私の実家も火事になったことはありますが、何も残りませでしたので、現実はそのまま受け入れるしかありませんので、思い出を探し追い求めることはありません。


津波被害の方は、何も無くなったとはいえ、何かを見つけて来る人も多いです。
そうすると、涙がこみ上げてきて、悔し涙をながし、思い出や過去を戻してほしい気持ちを話すかたもいらっしゃいます。


ゼロからの出発ではなく、マイナスからの出発になっています。



思い出は大切ではあるが、過去の思い出にしがみついていては、新しい思い出を作ることはできません。

探すことを辞めることも、出発点のエネルギーになるのでは、と感じるこの頃です。



2ヶ月たった今、仕事でお付き合いさせてもらっている家族の表情は、疲れが増してきたのか、日増しに暗くなっていたり、表向きだけ元気をさを出していたり、心身の不安定さを感じます。


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お友達のお友達の介護

  • 2011.05.13 Friday
  • 22:35
 

今日は、市内のど真ん中の上杉にいきました。

私の居宅からは、若干遠いのですが、仙台市全域で仕事もしていたので、全然大丈夫です。

でも、ここは一方通行が多いんですよね。

一方通行の出口にこんな標識がありました。

一応は、名前が付いていたんですね。


震災のショックで、介護者が突然死してしまったケース。
家族がパニックで、どうしようもないときにかかわらせていただきました。

暫定で動かなければ、思ったのですが、約1っヶ月半仕事を休み、じっくりデイサービスを見学をしてきて、介護度がおりるまで待っていてくれました。

つくかつかないか?

心配でしたが???

介護度4???

そう、動けないでいるときのSOSで、すぐ訪問調査もはいったので、この結果です。

実は今は、歩いているんです。

徘徊も・・・


仕事に行かないと、生活ができないので、一人にしておけないので、デイサービスを利用して、仕事に復帰してもらいます。

うまくいくかな?


同居の娘、震災前から8キロ痩せたと言っている。
かなりのストレスだったようだ。

明日から、生活リズムが変わるけれど、頑張ってね!


寝たきりと思っていたら、歩いちゃった〜

  • 2011.05.09 Monday
  • 21:43
 本日、新規の担当者会議です。

事前のアセスはできていませ〜ん・・・

初回会ったときは、命も保証できないような状態・・・
病院でも最後の手段の治療をしていた・・・

今、家に帰らないと、一生帰れないかも・・・・と思っていた。
家族にもそう伝えた・・・

家に帰ることができると家族に伝えた。
家族は家に帰すことを決断した。

そうしたら、なんとあっという間に元気になった。
今日退院した。

入院中、ベットから降りたことがないのに・・・
トイレに行くといって、体を支えてもらえながら歩いてトイレに行った??

立てないと思っていたのに、歩いてしまった。
離床させようと、車椅子を準備したのに・・・

歩行器がほしいって・・・

看護婦さん、ヘルパーさん、訪問入浴さん、福祉用具さん
みんあ、在宅でのベテランさん・・・

みんなで、プラン作っちゃった・・・

さて???

寝たきりの予定が歩いてしまって・・・

訪問調査は、あと1週間後なんだけれど・・・

あぁぁ〜 心配事が増えた〜


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