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    想いを形にするコーチングの知恵を発揮しよう

    • 2011.04.20 Wednesday
    • 09:14
     こんな支援があったらいいな〜

    と私が思うひとつです。

    コーチング


    何かしたい

    これをやりたい

    から

    よし、やるぞー


    まで


    一人の知恵では、形にするまで時間がかかる場合があったり、想いだけで終わってしまうこともあるでしょう。

    今回の災害での立ち直りは、ひとりだけの知恵、努力ではどうにもならない現実があると思います。


    想いを吸い上げ、それを形にするためのノウハウを持っている人、専門分野の人たちで、早い時期に形にできるように応援してほしいです。

    一人でも、自信をもってうごきだすと、周りは引っ張られます。

    いい、空気が流れてくるようになります。


    知恵で応援できる人、お金で応援できる人、いい出会いがあることを望みます。


    なにかやりたくても、やり方が解らない、お金がない・・・すぐできない

    ボランティアには限界があります。

    元に戻る事だけに執着せず、新たな人生を見いだせるような考え方や行動をを起こせるように、精神面も物資面もコーチングのノウハウを発揮して、一人でも多くの人の自活を応援してほしいです。


    個人の資質を活かす支援


    が、求められているように感じます。

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    頑張らなくてもいいよ、今、生きていることが一番・・

    • 2011.04.18 Monday
    • 10:01
     災害の後

    「がんばろう日本」
    「がんばろう東北」

    など、「頑張ろう」が当たり前のように、耳や目に入ってきます。

    「よし、がんばるぞ」

    と、出来る人はいい。

    でも、誰でも同じではない。

    そんな気持ちになれない人はいっぱいいるし、そうしなけりゃ〜と思っても、体や心が全然反応しない人も多いでしょう。

    頑張れない自分が、取り残されていく、阻害されていくような感覚はないでしょうか?

    「できることからやればいい」

    は、

    「できないときは、頑張らなくていいよ」

    とのメッセージも必要でしょう。

    もう、すでにそのようなメッセージも、地元では流れています。

    何も出来ないからって、自分を攻めることはない。

    今、生きていることに、一番の価値があるんですもの・・

    私たちは、信じています。



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    かながわケアマネ隊が宮城の被災地にきています。

    • 2011.04.17 Sunday
    • 10:50
     介護される側も、介護する側も、被災されて介護の現場を把握する機能が十分でなくなった地域に、他県からのケアマネが応援に来ていただいています。

    一ヶ月たった今でも、十分に機能していないでしょう・・

    会社はなくなり、情報もなくなり、安否さえも未だわからない状況と思います。

    専門分野の人たちの助けは、状況を把握するのの大きな力となっています。

    私が把握しているのは、かながわケアマネ隊の方々です。
    交代で、石巻に入り、現状の聞き取りをしてもらっています。

    ありがとうございます。

    私の、前に働いていた会社のグループホームは、津波の被害にあった地域にありますが、みんな逃げて助かっているようです。

    たぶん、同系列の施設に避難しているようです。

    しかし、こんな人達だけではありません。
    未だ、在宅で動けないで過ごしている方も多いと思います。

    そんな、見えないところにいる人達を、支援する輪ができて欲しいですね。

    私たち支援する側は、遠くの人たちも気になりますが、まず、目の前の被災されている方々の支援に頑張ります。

    かながわケアマネ隊の皆様、ありがとうございます。

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    突然死が続く

    • 2011.04.16 Saturday
    • 11:24
    自分のことで、精一杯でブログの更新が止まっていました。


    昨日は、身内の不幸で、岩手まで行きました。

    三陸道は渋滞に巻き込まれると思って、国道4号線を岩手に向かいました。

    私の実家は、気仙沼に近いところです。

    幸いに、災害での直接の影響をうけて、亡くなった人はいませんでしたが、津波と火事で家が無くなったおじさん宅と津波で1階が全滅のいとこがいます。

    我が家の関係では、甥っ子夫婦が福島の原発の近くで、あっちこっち避難しているようです。
    親でさえ、今どこにいるか把握していませんでした。

    5時30に家を出て、一般道を北に・・
    しばらくぶりに走った道は長い・・・
    道路のアップダウンもあり、時々、ブレーキをかけるのを忘れて、ジャンプ・・・

    時間の経過と共に、三陸道は渋滞のラジオ放送・・

    道路の選択には間違いはないようだが、9時半の葬式に間に合うかな???

    9時15分やっと着きました。(9時半から葬式・・ギリギリセーフ)

    帰りは遅くなったので、高速を走ってみましたが、制限速度50キロ・・
    それでもみなさん、80〜100キロで走っていましたので、所々でジャンプ・・・
    スリルのある高速でした。




    ここんとこ、仕事の関係も含めて、身近な人の急死が増えています。

    今回は、いとこが朝、冷たくなっていました。

    震災の直後から、岩手の物産を宮城に運んでいました。
    宮城では食べるものが無くなっているのを知った農家のいとこは、すぐ食べられるものを作って、仙台の自分の店に、毎日運んでいたようです。

    ガゾリンは、どこで調達をしたのかと思いましたが・・

    道路も完璧でない状態で、朝、3時、4時に起きて準備してきていました。

    震災一ヶ月後の4月11日の朝(夜中?)、誰にも看取られず無くなってしまいました。

    地域の先頭をきっている人だったので、亡くなった時には、地域(我が本家)が終ったといい、この世が終わったような最悪の状態を、みんな意識したようで、朝4時ころに、大変だ〜とメールまできました。


    ここに、震災の直接の被害ではないが、復興のために頑張った人が、命をなくしました。

    そんな人達が、今増えています。

    身近な人にも、ストレスや疲労で、突然死した人たちが、増えてきているので、その調整に追われている最中です。

    被災地は、被災された人も、復興のために働いている人も、限界を通り越しています。

    頑張れば、明日、何もかも変わるわけではないので、被災された人も、復興に支援している人も、犠牲者を増やさないように、それぞれ気遣いながら、生活をしていってほしいですね。



    過去は、戻れないんです。



    命あれば、未来はいくらでもあります。





    ね・・・・




    災害から2週間 綴ってみました・・・

    • 2011.03.24 Thursday
    • 18:44
     2011年、3月11日金曜日、14時26分、自宅にいたときに地震にあいました。

    ちょうど、ケアマネ事務所とする部屋が畳だったので、ウッドカーペットを注文して、代引きで届く日でした。
    12時から14時の約束でしたが、出かけてしまい、11時50分くらいに宅配業者より電話をもらいました。
    10分で帰れないけど待っていてと話し、急いで帰ってきたら、宅配業者はいませんでした。
    12時10分くらいになっていました。

    12時30分に宅配業者が、重たいウッドカーペットを運んできました。
    もう、お昼の時間でしたので、お昼を食べ・・・
    若干、昼間に弱い私は、眠気に襲われうつらうつらしてしまいました。

    14時20分ころ、これではいけない、営業に行かなくちゃ・・・

    前日も、前々日も、知り合いの居宅や包括に、独立するんだよ、と話して歩いていたんです。
    今日は、どこへ行こうか・・・
    お世話になった荒浜のタクシー会社にいこうか・・・

    なんて考えていました。

    そこへ、地震がきました。

    不気味にながく、数日前にタンスを移動していて、しっかり固定されていません。
    隣で、ガチャガチャ音がして、倒れたり壊れたりの音がしています。
    私は、タンスのある部屋にいましたが、倒れても怪我をしないところにいましたが、
    天板が落ち、洋服ダンスがズレかかり、あと10秒長かったら、全部倒れていたと思います。

    食器棚の食器を半分以上落とし、歩くところがありません。

    津波警報ですが、ここまではくるとは思いません。
    海から、7〜8キロあると思います。
    ライフラインは止まってしまったので、情報はありません。
    携帯のテレビで聞きながら、ラジオを探し、電池を探し・・・

    津波がきたのもわかりましたが、当日は何もできません。
    どこでまた津波がくるかわかりませんので、外に出られません。


    寒いし、余震があるし、その日は、息子と一緒の布団で猫にあたためてもらいながら、
    夜を過ごしました。
    運良く、私は日頃からホッカイロを愛用していたので、たくさんありましたので、
    至る所に貼っていましたね。

    地震当日、灯油とガソリンはいれたのですが、若干1000円分だけ・・・
    灯油は、電気がないので使えないので、考えなくてよかったが、ガソリンが・・・
    入れに並んだだけで、ほとんどなくし、未だ入れられてなく、ガス欠状態です。

    でも、本当に運に恵まれました。
    あの時、ウッドカーペットが届くようにしていなかったら・・・
    お昼寝をしていなかったら・・・・・

    私の予定は、津波のど真ん中の荒浜に営業だったんです。


    12日は、余震と津波警報と原発とで、家からでないでいました。

    津波は、空港までの有料道路が防波堤になって、そこで止まっていますので、
    有料道路より西側の地域は、被害がありません。
    川は、逆流してきているので、私の住まいより西側にも、車が流れ着いてきているようです。


    即、移動手段がなくなりました。

    13日に、ウッドカーペットを敷いてくれる人を何人か頼んでいたのですが、
    ひとりの人が、「おはよう」とやってきました。
    えぇ〜、こんなときによく来てくれたと、びっくりしました。
    ま〜、安否確認に来てくれたんでしょうね。

    14日に、弁当屋をしている親戚の家に、歩いて安否確認で行きました。
    若干6〜7キロ。
    もしや???の行列発見???
    老夫婦でこじんまりとしていた弁当屋は、開店していました。
    びっくりして、弁当屋の手伝い・・・
    気仙沼の安否確認どころか、生きるための格闘がすでに始まっていました。
    みんな、食べ物を求めて、小さな店に、雪も降っている中並んでいました。
    弁当作りに格闘しているなか、弁当屋の娘も安否確認に来て、
    4人で作り、暗くなりかけたところで終了。
    電気がないので、真っ暗状態で料理が出来ないので。


    15日に、息子が乗っていた自転車を借り、乗り方練習・・・
    車社会に慣れてしまい、自転車に乗る機会を無くして、うん十年???
    フラフラ状態・・
    前の職場の高専賃が近くにあったので、行ってみました。
    デイサービスの利用者で、ひとり住まいの人たちが、高専賃にいました。
    みんな元気でいることと、デイサービスの建物が使えないくらい損傷したとの
    確認ができました。

    16日に、自転車に若干乗れるようになったので、前の職場に行ってみました。
    避難所にいることがわかったので、避難所に行ってみました。
    グループホームの方々とデイサービスで自宅へ帰れなかった人たちが、避難されていました。
    それから、在宅の元お客さんのところへ、区を二つまたいで安否確認に行ってきました。
    みんな、元気で安心しました。
    ろうそくで、ボヤを起こしていた人もいて、ゾーッとしたところもありました。
    この日も結構自転車で走りました。
    足が強くなったかな?

    17日は、仙台空港近くの岩沼で、デイサービスをしている知り合いに行っています。
    電話は通じないし、津波に襲われた地域でしたので、心配で確認しに行きました。
    携帯のTVなどで流れていた映像のコンビニは、若干片付けられていました。
    彼女のデイサービスは、泥だらけでしたが、若干片付けられていました。
    戸に「全員無事で自宅にいます」と張り紙があり、ほっとしました。
    彼女の自宅を探していき、自宅の泥を片付けていましたが、復帰に向けて、
    すでに物件探しをしていたのには驚きました。
    この状態だと、しばらくライフラインがもとに戻らないからと、デイサービスの
    利用者が、自宅で限界にきているので、早くふっきさせてあげないととの想いのようです。
    潰れない彼女に安心しました。
    空港の周辺を、若干車が通れるようになったとのことで、被害を見にいきました。
    まだ、水に浸かった状態です。
    死んだ牛や豚、生き延びた豚が走り回っている状態でした。

    18日には、若干足は疲れていたのですが(連日数十キロ走っていたので。それも途中で
    吹雪にあい、雪だるまになって走っていたので)、宮城野区蒲生でデイサービスをしている
    知り合いの安否確認に行きました。
    道路に入り口で、泥と車の壁???
    後片付けをしていた民家に自転車を頼み、泥の中に入っていった。
    歩くところはない。
    どこにデイサービスがあるのか、見つけられない。
    1時間ほどさがし、やっとデイサービスの建物は見つけたけれど、無残な姿で、近くに行ける状態でない。
    自衛隊の捜索も、終っていない。
    もし、逃げられなかったら、???
    そこにいた人にきくと、だいぶ流されたと聞く・・・・
    ここは、お年寄りが多かったので、ダメではないかと???

    避難所の場所を聞いて行ってみるも、地域が違ったようでわからない。
    もう、道路も自転車で走れる状態でなく、ドロドロヌルヌル状態。

    夕方になったので諦めて、遠くまで来たので、多賀城の高専賃に顔を出し、
    暗くなってから、帰り帰路につく。
    ところが、途中道を間違え、電気は通っていないので、信号も街灯もなく真っ暗・・
    慣れない自転車で走れず、徒歩が多い。
    かなりの遠回りで、3時間半かけて、21時半に無事に自宅にたどり着きました。

    よくぞ走った・・・
    もう行けないような気分・・・
    知り合いの安否も分からないで帰ってきたが、数ヵ月後無事に逢えたら、感激なんだけれどね〜。
    数日前に開業報告をして、「頑張ろうね」と行ったばかりだったのに・・・・

    19日、4月にケアマネ事業所開設予定で、県に申請を出していたのだけれど、
    申請がおりるかどうか、若干不安でしたので、17日に確認していました。
    「申請は難しい。もう利用者がいるんであれば、どこかの居宅に席を置いてつくってもらえないか」
    との返事。
    こんな状況で、決済の印を押してもらえないらしい。
    で、いろいろ電話をしていて、引き受けてくれた事業所を見つけ、安心する。
    挨拶でも早々にしたいと、その事業所にいく。
    強風で向かい風・・・自転車には乗れず押して・・・
    車で20分くらいを、自転車で2時間半かけていく。
    このへんで、もう老体に鞭打ってになってしまう。

    22日、ショート中に被災し、自宅へ戻されていた人が、自宅で限界状態になって、
    ショートステイ先も被災したが、引き受けてくれたので、また蒲生のちょっと手前まで
    行ってきました。

    長くなったので、続きはあとで。






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